XF-91はアメリカ合衆国のリパブリック社がアメリカ空軍向けに開発していた混合動力戦闘機。愛称はサンダーセプター(Thunderceptor)。1949年に初飛行したが、制式採用はなされなかった。
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第二次世界大戦後にアメリカ空軍は高速の戦闘機を求め、リパブリック社にロケットエンジンを補助に用いる混合動力のジェット戦闘機の開発を求めた。リパブリック社はそれに応えて、F-84サンダージェットを改良し、胴体末尾にロケットエンジンを増備し、主翼を後退翼にした機体・XF-91を開発した。
ロケットエンジンは、ジェットエンジン排気口の上部に垂直方向に二基直列配置で、排気口の下部にも垂直方向に二基直列配置、計4基装備した。主翼は後退角が付けられ、翼の付け根より翼端の方が幅広の逆テーパー翼となっている。翼の厚さも翼端の方が厚い。これは翼端失速を防ぐために考案されたが、構造的には不利であった。
初飛行は1949年5月9日。ロケットエンジンの搭載は遅れ、ロケットエンジンを用いた初飛行は、1952年12月9日となった。ロケットエンジンは水平飛行での音速突破に成功するなど、速度面では有効なものであった。このまま制式採用がなされれば、世界初の実用超音速戦闘機となったはずである。
2機の試作機が製造された。初期形態は通常形式の尾翼に機首インテイクを持つものであったが、後にV字尾翼への改修やレドームの装備、インテイク位置の主翼付け根への変更など様々な試験が行われた。しかし、アメリカ空軍はより高性能な迎撃機の開発を行うことを決定し、本機の採用は行われなかった。世界初の実用超音速戦闘機となったのは、本機のわずか半年後にジェットエンジンのみで水平飛行で音速を突破した、F-100戦闘機であった。
全長:13.18m
全幅:9.52m
全高:5.51m
自重:6.4t
エンジン:J47-GE-17 ターボジェットエンジン(推力 3.4t)1基、XLR11RM-9ロケットエンジン(推力 0.68t)4基
乗員:1名
武装:20mm機関銃 4門、ロケット弾など
XF-90は、アメリカ空軍の試作戦闘機。製造はロッキード社。1949年に初飛行したものの、制式採用はされず2機が試作のみに終わった。
1940年代に、アメリカ空軍は爆撃機を護衛する長距離戦闘機の必要性を認識していた。戦闘機はジェット化の時代になりつつあったが、初期のジェット機は燃料消費率が高く、航続距離が短いという欠点を持っていた。まず、XP-81やXP-83が試作されたが、1944年から1945年にかけて初飛行した。しかし、それらは性能不十分のため、不採用となった。
1946年にアメリカ陸軍航空隊は長距離戦闘機の試作をマクドネル社とロッキード社に依頼することとなった。これは、「侵攻戦闘機計画(penetration fighter)」と呼称され、1,500マイル(2,400km)の行動半径を持ち、限定的ながらも地上攻撃が可能で、15,000ポンド以下の重量の機体という要求であった。なお、行動半径の要求は後に900マイル(1,400km)に引き下げられた。マクドネル社はこれに対し、XP-88を製造し、ロッキード社はXF-90を製造した。
発注は、1946年6月20日にXP-90として行われた。設計当初はデルタ翼機の検討も行われたものの、それは放棄され、流線型のフォルムを持つ後退翼機となった。なお、名称は1948年6月11日にXF-90に変更されている。
機体は、低翼配置・後退翼を持っており、後退角は35度である。水平尾翼は垂直尾翼の中ほどに取り付けられている。垂直尾翼の後退角は可変取り付け方式により変化させることができた。コックピットは涙滴型であり、主翼端に増槽の取り付けができた。エンジンは双発であり、胴体側面から吸気し、胴体末端に排気口を持つ。エンジンは当初ウエスチングハウス社製J34-WE-11(推力:1,361kg)が用いられ、後にアフターバーナー付のJ34-WE-15(推力:1,905kg)に換装された。J34-WE-15を装備したものはXF-90Aと呼称され、1950年5月20日に初飛行した。
XF-90は、強度を保つために新しいアルミ合金を使用していた。この合金のために強度は十分であったものの、重量が大幅に増加している。このことにより、エンジンの推力不足とあいまって、XF-90は鈍速の機体となってしまった。
1949年6月3日に初飛行し、1950年9月まで飛行試験が続けられた。しかし、空軍は1950年8月の時点で競作機のXF-88の方が優秀であるという判断を下しており、採用はされなかった。その後、2機の試作機は、それぞれ1952年の核実験や1953年の強度試験に用いられ、破壊された。
本機に始まるF-90番台の戦闘機は、F-80よりの発展型であるF-94を例外として、ことごとく超音速戦闘機を目指して果たせず、不採用に終わっている。ようやくF-100によって音速突破に成功し、F-100番台は「センチュリーシリーズ」として輝かしい実績を残した。F-90番台はセンチュリーシリーズへと発展する踏み台となったと言える。例えばF-90を設計したケリー・ジョンソンはこの失敗を教訓とし、次に軽量戦闘機であるF-104を設計し、アメリカ空軍ではふるわなかったものの、NATO諸国や日本でも採用されるベストセラー機として、一応の成功を収めた。
(XF-90A)
全長:17.11m
全幅:12.19m
全高:4.8m
自重:8.2t
エンジン:ウエスチングハウスJ34-WE-15(推力:1,905kg)2基
最大速度:1,107km/h
乗員:1名
武装:20mm機銃6門(予定)